作成の経緯

▶ 神野新田の歌は、なぜ「琵琶湖周航の歌」の替え歌となったのか

 ・五木ひろしの「千曲川」がフィットしそうな感じがあったが、曲の途中で無理な所があった

 ・著作権切れの歌を探す中で「琵琶湖周航の歌」が詞に一番合う感じがした

 ・加藤登紀子が昭和46年にヒットさせていて、多くの人が歌えると思ったから


▶ 歌作りの経緯1(まずはホームページ作りから始まった)

 ・2018年末、郷土の歴史をホームページ(HP)にしたくて、情報が集め易い圓龍寺のHPを作り始める

 ・神野家富田家は神野新田開拓に至るまでと、その後の活動も多岐に亘っており、調べた情報が圓龍寺の

  HPに入らなくなり、多数のHPへと分離発展していった

 ・20点を超えるHP作りを通じて神野新田にまつわることの全体像が把握できるようになった


▶ 歌作りの経緯2歌を作るいきさつ

 ・1970年に横浜戸塚に入社した時の同期が2021年度に70歳を迎えるに当たり、コロナ禍でも親睦が図れる

  「歌作り」することを決める(作詞はメンバー、作曲はこうき、歌手は長次郎ほか)

 ・歌作りの進捗や結果は、月一の同期ミーティング(ZOOM)での公開と専用HPへの掲載とした

 ・2022年になってから「神野新田の歌」が有っても良い、有るべきだと考えて準備に入った


▶ 歌作りの経緯3神野新田の歌を作るまでの作詞の状況

 ・初の作詞は手探りで、イメージした詞に合いそうな演歌に合わせて詞を作り、作曲者参考にした曲の

  雰囲気が残るような曲にして欲しいと依頼した

 ・あとは多数の歌を歌い込んでいる歌手担当も参加してブラシュアップしていった

 ・ここをクリックすると「神野新田の歌」に至るまでに管理人が作詞した4つの歌にリンクします